令和次郎ニュース

日本の国益重視で出来事を紹介、令和新撰組とは無関係です

【日韓関係】敵対感情の強い国と友好国にはなれない、清と朝鮮を歴史的に見る

日韓関係の改善を呼びかけるマスコミや識者がいますが

敵対感情、反日を国是とする国とは友好関係は結べません

令和1年8月16日(金)令和次郎ニュースです

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朝鮮が過去に特定の国に対して敵対感情を持ち続けた例を歴史から調べました。

そして満州族の清の建国時が最も近いと感じます。よくご存知の方はスルー下さい。

清、満州族と朝鮮の関係だけに限って書きます。

詳しくはまとめて別ブログのアジアの歴史ブログの方に載せたいと考えています。

塞外民族の中では異質の朝鮮民族 儒教の影響が強い

塞外遊牧民は実利的

中国の塞外民族は一般的には実利的で融通がききます。

戦いも実利行為で勝ち負けには漢民族ほどこだわりません。

だから野戦ではいったん負けたふりをして退却して追いかけてくる敵を待ち伏せ攻撃がもっとも多く用いられます。

漢民族の将軍はわかっているはずなのに度々かかって大損害を出しています。

きっと漢民族のDNAに沿った行動だからでしょう。

「勝った」という実績が欲しい漢族軍はどうしても追いかけてしまうのでしょう。

各部族は誇りを持っているが他部族との連携も多い

戦いの勝率を上げるには強い部族のアライアンスをつくって孤立した弱い部族を叩くのがもっとも効果的です。草原の生き残りは非情です。

そのためには「孤立」は好ましくなく、できるだけ他部族との婚姻を進めます。

だから純粋な部族主義はあまり見かけません。

清の2代皇帝ホンタイジの正妃は5人ともモンゴル族です。

他民族を敵とみなして自身が孤立することは自部族の存続を危うくします。

これが塞外民族の共通認識です。

朝鮮は小中華で漢民族っぽい

その中で李氏朝鮮儒教の影響が強く塞外民族の中では異質の存在です。

そのことが他の民族との軋轢を生み国を存亡の危機にさらします。

その典型的な事件が明末、清初におこっています。

ヌルハチ満州国を建国

朝鮮の北に住んでいた女直族をヌルハチが統一して清を建国しました。

女直は大きくは3つでその中にそれぞれの部族があり十いくつに別れていました。

♣それぞれの部は独立した部族と考えるべきです。

それを強力なリーダーシップでまとめ上げ明から独立したのがヌルハチです。

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彼は当初は明に協力して力を蓄え、交易で富を蓄えて独立を果たしたのです。

しかし大国明からの独立はいばらの道でした。

統一して建国したのが1616年ヌルハチ58歳のときです。

かれは明の「紅夷大砲」で10年後に死にますが後継者に有能な指導者が続きとうとう中国全土を支配します。

ただ私達は歴史として結果を知っていますが、現在進行中の建国時の清はギリギリの綱渡り状態でした。

清は味方が欲しかった

人口が少ない清は征服した他の女直やモンゴル族も配下に組み込み人を集めました。

「人さらい」までして人口の増加に努めたのです。

漢族も多く配下に入り漢軍八旗も作られます。

明の属国であった朝鮮は清を蔑視、敵視した。

明から王に柵封された朝鮮はプライドが高く女直(満州族)を蔑視していました。

事実明の代理で女直支配の一端を担い彼らを監督する立場にあったのです。

朝貢も明の代理として受けていました。

交易も盛んでした。

清にとっては自らの存続に影響する相手でした。

敵に回すと明との戦いの途中で背後を襲われます。

李氏朝鮮15代光海君は現実的な中立政策をとり失脚

清とすれば朝鮮に反清勢力ができることが一番の脅威だったのです。

そんな時に王であったのが「光海君)です。在位1608年から1623年。

後にクーデターで王位を追われて済州島に流されたので王ではなく「君」の名で呼ばれます。

かれは明の属国であることは続けながらも清とは中立を保ちました。

つまり「反清」ではなかったのです。

清は度々明を破る実力を見せていたので現実的に判断したと言えます。

交易の利益も大きかったですし。

儒教派のクーデターで失脚→反清路線になる

儒教的には中国の明につかえているので清は敵なのです。

なので彼らはクーデターを起こして王を追放しました。

そして仁祖、在位(1623年から1649年)が即位します。

かれは伝統的な中華思想で「反清」を貫きました。

結果的には国家存亡の危機に追いやり朝鮮は清に完全屈服して属国になります。

清が1回目の朝鮮侵攻

2代のホンタイジが即位しました。

かれは朝鮮に「反清」政権ができたことで苦しい立場になりました。

毛文竜といういかがわしい人物も鴨緑江沿いでゲリラ活動を展開していました。

彼は密貿易でも大々的に稼いでいたようです。

明、毛文竜、朝鮮と「反清」勢力に囲まれて交易ルートも遮断されました。

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明との戦線は要衝山海関に阻まれ、南東を朝鮮、毛文竜に包囲されたホンタイジは父譲りの果敢な行動に出ます。

それが1回目の朝鮮侵攻です。1627年1月です。

兵力はアミンの率いるジョウラン旗を中心とする3万。♣アミンはホンタイジのいとこ

清と朝鮮は兄弟の関係になる

清軍は毛軍を破り国都の開城に迫り、国王の仁祖は江華島に逃げる。

江華島は漢江の河口にあり島なので騎馬民族は攻撃できない。

和議が結ばれ条件は

1 清が兄、朝鮮が弟の関係を結ぶ

2 国境不可侵 3 国境で交易をする 4 朝鮮は清に朝貢する

というもので「儒教派」には受け入れがたいものでした。

清が併呑しなかったのは「交易の利」を手放したくなかったと言われています。

朝鮮経由で交易が可能ですから。

講和は結んだものの無視して仁祖は「反清」政策を進める

これ今の状況にそっくりですね。日韓基本条約を結びながらも無視、破るという行為には歴史的伝統があったのです。

仁祖は密かに対清討伐軍を組織して攻め込む準備をします。

→清の諜報網が情報をキャッチ。というか「親清派」がリークしたのです。

朝鮮には国益という考えは無いようです。

清2度めの朝鮮侵攻

1636年4月ホンタイジが皇帝を名乗る

朝鮮に対して「君臣」の関係に切り替えるように要求。仁祖拒否。

1636年12月清全軍で朝鮮に侵攻

ホンタイジは思い切りの良い指導者です。八旗全軍で朝鮮を攻めました。

10万と称しました。実数は例のごとく半分でしょう。

とはいえ明との戦線にはほとんど兵はいなかったことになります。

明がこの機会に全軍で満州に攻め込めば・・・と考えればホンタイジの決断力が並大抵のものではないことがわかります。

あっという間に国都を落としました。国王家族は例によって江華島へ避難。

王も避難の予定でしたが前回の教訓で江華島への道は清軍が塞いでいました。

仕方なく漢江南東の南漢山城へ1.3万の兵士と共に籠城しました。

厳寒の中で食料なし、やむなく降伏→三跪九叩頭の屈辱

仁祖は明に援軍を要請し全土に激を飛ばしました。

しかし南漢山城には食料が50日分しかなく厳冬の中で士気も低下。

漢江のほとりの三田渡の清軍の元へ降伏しに行きました。

清は受降壇をつくり待っています。

最下段で仁祖は「三跪九叩頭」の礼でホンタイジに仕える約束をしました。

この時の条件は

1 明との関係を断つ 2 対明戦に兵を出す

3 臣下の礼をとる 4 朝貢する

5 賠償金を払う 6 2人の王子と重臣を人質として清に送る

7 反清派は瀋陽で処刑

という厳しいものでした。

さらに清は50万人を連れ去り瀋陽の奴隷市場で売りました。

金銀に加えて、牛、豚、貢女3千朝貢するという約束もこの時のものです。

降伏者に対して徹底搾取は塞外民族の共通認識ですがそれにしてもホンタイジの「悪意」を感じます。よほど腹に据えかねていたのでしょう。

「大清皇帝功徳碑」を三田渡に建立・・・石碑に刻む

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これが今も実在する石碑です。亀に乗っています。手前の亀は小さすぎるという理由で立て直した前の台です。

満州文、モンゴル文、漢文の3つの言語で書かれている。

内容は上記の盟約を刻んだもの。先の約束を朝鮮が反故にしたので石碑に刻ませて残したもの。

日本との貿易は続けるように書かれてもいる。清が交易を重視したことがうかがえる。

もちろん上納金は必要。

こんなに立派な建造物なのに韓国人には超不人気な観光スポットだそうです。まあ納得

<筆者の感想>

1 清の有利な同盟国にはなれた

モンゴルやあるいは服属した漢族がその後支配者階層になっていることを考えると、朝鮮は同盟国にはなるチャンスはあった。

光海君はそれを目指したようだが「儒教思想」「異民族蔑視主義のレイシスト」の派閥が主流の李氏朝鮮ではクーデターもやむなしか。

2 精神主義に終始して国益を度外視

結局最悪の条件で清に服属する。しかしこの厳しい条件によく耐えて明が滅亡後は清に忠誠を尽くして康煕帝からは褒められている。不思議な民族。

3 朝鮮は明が滅びるまで精神的には「反清」を貫いた

精神に生きた国、民族と言える。

現代に置き換えると日本が朝鮮に嫌われているがこの流れはずっと続くと予想される。

清のホンタイジのように徹底的な軍事力て粉砕してもなお「反清」感情は残った。

♣仁祖は世子の昭顕が清にかぶれたとして殺している。表向きはともかく精神的には「反清」を貫いたのだ。我が子を殺してまで、立派!

今日の結論

反日感情が強い韓国との友好は歴史的、国民性からは無理と考えられる。

日本は相手が「変わること」「歩み寄ること」を期待してはならない。

以上です。長くなりました。長い記事をお読みいただきありがとうございました。

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